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「無名から大学バスケを代表するガードへ。秋山煕はどこまで成り上がるのか。」
「歴史を塗り替えたいですね、ぶっつぶします。」
こんな発言を平然とする男が、日本の大学バスケ界にいる。
5月19日~21日に行われた日本学生選抜チームと韓国学生選抜チームの公式戦(第40回李相佰盃日韓学生バスケットボール競技大会)。開幕前のインタビューで、目をギラギラとさせながらこう言い放った大学生がいた。専修大学4年の秋山 煕(あきやま ひかる)だ。
事実、今年の李相佰盃では27年ぶりの3連勝を達成し、大学バスケの歴史を塗り替えたことは記憶に新しい。
乱暴に聞こえるかもしれないが、頼もしさも感じる。現役の大学生バスケットボーラーの中でこんな破天荒な発言ができるのは彼しかいないだろう。
稀有な身体能力から生まれる、会場を沸かせるプレー。秋山のバスケットを見るときは、「次にどんなことをしてくれるの?」とついつい彼を目で追ってしまう。現在の活躍を見れば、大学バスケ界を代表するポイントガードとも言える。しかし、秋山は最初から注目を浴びていたわけではない。どこまでもハングリーにバスケットをする秋山煕のストーリーに迫る。
子供の頃から破天荒
出身は千葉県。小学校2年生の時に、兄が所属していた地元のミニバスに自然と入団した。
「最初は嫌々でした。兄ちゃんがやっていて。毎回親が迎えに行くのに自分もついて行っていて。そうしたら誘われて、きついし、走らされるし、最初の頃は本当に嫌々だったんですよ。」
嫌々バスケットをしていたのも小学校4年生まで。バスケットが楽しくなるきっかけがあったという。
「適当なシュートを打っていたら、そのシュートが入るようになっちゃって。そこからシューティングでそういうシュートを練習していたら身についてきて。今に至っているって感じです。」
確かに、現在の秋山のシュートは7割方タフショットに見えるといっても過言ではない。
中学校への進学はバスケットのことなど考えず、佐倉市立佐倉中学校という地元の中学に進学した。中学校のバスケ部は県大会に出場できれば良い方。
チームメイトには初心者も多く、チームの中心は秋山。コートでもボールを持つ時間が長くなる。
試合では、1試合に2本、ハーフラインからシュートを打っていたという。
なぜハーフラインからシュートを打っていたのかを尋ねた。
「前が空いていたから、普通に打っていました。」
ハーフラインからシュートを打つポイントガード。秋山の中学時代は破天荒以外の何物でもない。
何をしても、周りは秋山に注意はしなかった。楽しく、好きにバスケットを続けていた中学時代。
「そんなに上を目指しているチームではなかったですね。」
少し悔しそうに、思い返す様子でそう言った。
「とりあえず本当に基礎がなっていないポイントガードでした...。全然なってなかったっすね。バスケットを知らずにやってきました。」
秋山自身も認める通り、本能のままプレーする中学生だったという。
運命を変える出会い
ハーフラインからシュートを打ち、得点を取るためにコートで暴れる中学生は目立つ。偶然、地元の方の紹介で、競争の激しい千葉県内でも強豪校として数えられる東海大付属浦安高校への推薦をもらうことができた。
ここで、彼の運命を変える出会いがある。田代直希(専修大学→現:琉球ゴールデンキングス)との出会いだ。
相手に対する強気な姿勢、バスケットでの身体の使い方。そして、漂うボス感。当時高校1年生だった秋山から見た3年生の田代は強い憧れとなる。
ー高校3年生時の田代選手(写真左)と高校1年生時の秋山選手(写真右)。
入学当初から期待のルーキーということもなく、ただ身体能力があるだけと言われたという。
「まあいいかなって。その身体能力でそれ以上にカバーすればいいと思いました。ただ高校2年生の頃からはすごく努力もするようになりました。」
本気でバスケットに取り組むようになった高校2年生時から、だんだんとプレータイムをもらえるようになった。
「あいつ誰だ?」 千葉県内の大会では、中学時代無名であった秋山選手のことを初めて目にする人も多かった。そうやって、試合を重ねるごとに自分が目立っていくことは楽しかったと話す。
しかし、高校3年間県ベスト4の壁は超えられなかった。バスケットが楽しい中で、勝つことができないもどかしさ。
「本当は全国に行きたいと思ってました。高校の時は相当努力していたので。負けた時はいつも恥ずかしくなります。あの時こうしておけばとか。もっと違うプレーやっとけば勝てたのかなとか。」
もどかしい中で、高校バスケットを終える。もっとできる、こんなもんじゃない。
その想いが秋山を動かした。
高校時代の憧れの先輩である、田代のいる専修大学への進学を決めた。田代に連絡を取り、自ら大学側へと売り込んで行ったという。
専修大学は数多くのプロバスケットボール選手を輩出し、大学バスケ界において強豪として名を連ねるチームだ。
自分の周りには田代含め、高校時代に名を馳せたプレーヤー達。
練習から、初めて学ぶことが沢山あったという。
「自分のできることの幅が広がるのはうれしいですね。全然バスケットを知らなかったから。吸収することが多くて、吸収して、実際にやってみて、楽しいなって感じます。ディフェンスを学んだのは大学に入ってからです。」
今まで疎かにしていたディフェンス面。大学に入り、そこに注力することで結果を出した。自信のあるオフェンス力も評価され、プレータイムを獲得していく。
大学1年時のリーグ戦。無名選手は日の目を見た。
「練習からディフェンスを手を抜かずにやったら試合に使ってもらえました。ここでやるしかないって思って、暴れました。」
関東1部リーグ戦や、インカレを経験し、自信をつけた。
2年時にはポイントガードとしてスタートメンバーに定着し、専修大学を代表する選手となっていく。
「ディフェンスを楽しいと感じるようになりました。やれば試合に出られるし、なにより、スティールできた時の爽快感。速攻で目の前に誰もいなくて1人になった時、周りの目線が自分に集まる。たまらないです。たまに外しちゃうんですけど。」
試合に出る為にできることをやる。
負けず嫌いな性格も加わった目立ちたがり屋。バスケットに対するハングリーすぎるとも言えるスタンスこそが、秋山を形作っている。「次はどんなプレーを見せてやろうかな」ガツガツとした、その姿勢は試合でも練習でも変わらない。
そのスタイルを貫いていく中で、大学4年目にしてU-24代表候補、そして日本学生選抜にも選ばれることになる。
日本代表までのぼってこられた理由
「今こうやって、日本代表に入ってプレーをする。高校時代にこんなのは全然考えられなかったです。インカレで全国とかも考えられないですね。千葉でも良くてベスト4ぐらいだったので。」
笑いながら話す秋山だが、その道程は決して簡単なものでは無かっただろう。実績も無かった無名とも言える秋山が、なぜここまで進んでこれたのか。
「努力だと思ってます。高校の先生にも、『秋山は努力が凄いな』って言われてて。やっぱ努力でここまで来たんだなぁって、実感してます。」
高校時代の話でも出てきたこの「努力」という言葉。
正直、秋山が真顔で「努力」なんて言葉を発したことに驚いてしまった。
失礼かもしれないが、秋山に「努力」という言葉は似つかわしくない。インタビューを行った時もそうだが、コートに立っていない秋山は、真面目な学生というより、お調子者のイメージが強い。
秋山の言う「努力」とは、一体どのようなものなのだろうか。それについて尋ねたところ、きっぱりと、こう即答した。
「試合中の努力です。」
「監督やチームから指示されたことを徹底的にやるみたいな。ほぼ100%ですね。もちろん練習も努力はしてますよ(笑)。」
ここで言う「努力」とは、バスケットボールに対する飢えのようなものだろう。チームから求められていることに100%を尽くして応える。秋山らしい、面白い答えだった。
高校時代、練習後でも関係なく誰かを捕まえては1on1を繰り返していた。
試合中も、声を出しチームを盛り上げるタイプではなかったらしいが、その強気な姿勢を後輩たちもしっかりと覚えているという。
秋山の世代は、バスケ界の将来を引っ張る選手で溢れている。馬場雄大(現:アルバルク東京)、杉浦佑成(現:筑波大学4年)、斎藤拓実(現:明治大学4年)など粒ぞろいだ。
その中で、秋山もポイントガードとして同じコートでプレーし、肩を並べるまでに至った。
常に上を求め、野心を秘めながらバスケットをする彼の成長速度は計り知れない。
—日本学生選抜チームでキャプテンを務める杉浦選手(写真右)と、笑顔でハイタッチをする秋山選手(写真左)
悩み、苦しんだ1年を越えて
取り巻く環境が変化する中で、壁にぶち当たることもある。
「去年は全然上手く行かなかったですね。考えすぎちゃって。」
大学3年時、悩みが尽きなかった秋山。
自身の能力に任せるプレーをしていた高校時代。大学に入り、吸収しすぎてしまい、キャパオーバー。正解がわからなくなったという。
昨年度のチームの成績は、リーグ戦4位、インカレ4位。チームの成績は良かったかもしれないが、個人的に納得のいかないシーズンを経験する。
そんな中、今年の始めにU-24代表候補に選ばれることになる。
世界レベルの指導、そして同世代の日本トッププレイヤーたちの中でのバスケットを経験した。
「攻めることができるガードが欲しいって言われて、代表に選ばれた。自信がつきましたし、ガードらしさが出てバスケットに対して賢くなった。賢くなって余裕ができて、面白いパスとかもできるようになりました。」
秋山が所属する専修大学のバスケットスタイルはブレイク主体の走るバスケットへ変化してきている。
オフェンス面においては、これまでの個人の能力に頼ったスタイルから、チームで決められたシステムを重要視する形になり、求められた秋山への変化。
「これからは、引きつけてパスとか、徹底的にガードとしてのプレーを意識していきたいです。とりあえず周りを活かして、ガードとして気持ちよく打たせてあげます。プラスいつも通りガツガツ攻めるのも忘れないで。」
周りを活かし、チームを引っ張っていくポイントガード。
代表合宿は、彼をプレーヤーとしてより高いレベルへ成長させる良いターニングポイントとなった。
「誰なんだあいつは」
そして迎える最終学年。現在の調子はどうなのだろうか。
「今年はやばいっす。フリースローラインから跳んでます。前の僕に戻りましたね。そこにガードらしさが加わって周りも活かしつつ、ギュインギュインです!!」
秋山に、将来の夢を尋ねた。
「最近思っている事があって、50歳までバスケットがしたいって考えるようになりました。現役最年長プレイヤーになって、レジェンドになりたいです。」
では、3年後は?
「Bリーグに行って、新人王を獲って、『誰なんだあいつは』って思わせたいです。ずっとそれでやってきました。それが気持ちいいし、楽しいです。」
周りから注目されること、それはプレッシャーになる。そこに応えるためには、裏付けとなる実力が必要となる。
しかし秋山は、それさえも超えてくるだろう。
自分の名を轟かせること。モチベーションはそこにある。
1月に行われたTOKYO STREETBALL CLASSIC 2017でのワンシーン。
今年の関東1部リーグは力のあるチームばかり、どの試合も何が起こるかわからない。
もし、初めて大学バスケ観戦に来る方がいたら、是非専修大学の試合を観て欲しい。
コートでギュインギュインに暴れまわる背番号11に目を奪われるだろう。
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秋山 煕(あきやま ひかる)
専修大学4年 / PG / 178cm / 74kg / 東海大付属浦安高校